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2013年1月31日木曜日

人生初期、異性親をどのように知覚しましたか? それこそが至福に続く扉であり、あなたの根幹。しっかりハンドリングしよう!

 
みなさん、こんにちは。
 
**
 
本日は朝日中学生ウィークリーさまから
ラブレターの書き方についてのご取材をいただきました。
2月10日の発売の号です。
お子さんのいらっしゃる方がいらしたら
よかったら手に取ってご覧になられてみてください。
 
 
***
さて。
私がなぜ毎日自分の顔写真をとってアップしているのか?
 
それは・・・
 
私の「自己分析法」のひとつだからです。
 
意識、無意識、精神のありようの
プロセスと変化に対して
自分の表情とオーラと中心軸が
どのようにうつろっていくのかを
 
中学生の定点観測日記のように
客観チェックしているのであります。
 
そうやって
 
自分の現在にアウェアネス(自覚)
しっかりと向けていたいのですよ。
微細な自分のパターンを
読み解きたいからでもあります。
 
こうなってくると
私はただの凝り性、はまり性、ヲタク。
自己認識を深めるばかりです。
 
***
 
そんな自己分析をこんこんとくりかえす日々の私ですが
あらためて「生きやすさ」のための精神の核心とも
思えるテーマをご紹介します。
 
まず質問です。
 
みなさんは、人生早期に
異性親をどのように知覚していたでしょうか?
 
私はその後の父親の暴力によって
まるっきり記憶を失っていましたが
 
この2週間あまりの間に思い出したことには
 
「お父さんのちょっとワイルドな空気がかっこいい!」
 
でした。
 
 
 
実際の父親はぜんぜん違うのですけど
それは問題ではありません。
 
本人が知覚した主観がすべてです。ここでは。
 
 
 
私が子供のときに投影したのは、確かにそんなものでした。
 
そこから芋づる式に洞察を深めて
思い出されたのは
 
そうだ!
 
私は小学生のころ「番町」という異名をとっていたんだっけ、とか
そういえば、親が私立の中学に進学させたのは
私がほっておくと不良グループと仲良くなっていくと判断したからだったとか。
近所の家の屋根を渡り歩いて冒険ごっこをして遊んでいたとか。
 
私はものすごーくプリミティブでパッショネイト、
ワイルドでおきゃんな
スーパー自由人気質だったんじゃん!!!
 
です。
 
このあたりの指向性が
幼少のころの異性親に対する
評価に凝縮されていたのですね。
 
ようは人生最初の異性に投影されるエッセンスこそが
自分のなかの異性性であり、魂のテーマのひとつだからです。
 
つまり、に投影したそれを
「自分のものとして引き受け、和解して、それと文字通り結ばれて、
癒されて、安らいでいるところ」を体験すること以上の
至福はないとまでいうことができてしまいます。
 
現実の出来事は
究極的には
このテーマを達成したいのに
達成することができないままに
くりかえされるトラップのひとつともいうことができてしまいます。
 
「自己実現」のテーマはズバリ、この問題でもあるのです。
 
話を私の「ワイルド」に戻しますね。
 
残念なことに、私の考える「ワイルド」は
庇護者である両親の好きな子供像とまったく違っていました。
親子の相性はちっともよくありませんでした。
 
ですが、親はうるさいし、いい子にしていないと
「金を出さない」と父に脅されたりもしましたから
中学生ぐらいから
親の考えるキャラクターにシフトしていったのでした。
 
そして、知らぬ間に「ワイルドってなんだっけ?」にまで
変わり果ててしまったのが、今年の上旬まで。
 
そこからあることをきっかけに分析がスタートして
いま、「OH!ワイルドでいいんだ!」となり
すると、人生は本当に楽しい!
 
 
これが
「そのひとのなかの【こころの闇】を引き受ける
ことでもあります。
 
また「内なる異性親との結合」でもあります。
 
この境地に入ると大変楽でございます。
 
この深層心理のトラップは
「アダムとイブの失楽園」にも等しいのであります。
 
あなたの失われた楽園を取り戻したいと思ったら
 
この根幹にまで降り立つガイドがとーっても有用です。
 
ご興味がございましたら
是非お気軽にお求めください。
 
ひとりでも多くの方に
エデンの園の至福を
生きながらにして体験していただくことができたら
本当にうれしく思います。
 
はっきりいって私の言っていることは
何を言っているのかさっぱりわからないかたが多いのも
無理からぬところ。
非常に難しい深淵の部分。
極みの極みであります。
 
ガイドなしにはたどり着けない世界でもあるわけです。
 
まずはぜひ一度ご相談ください。
 
あなたのこころあるプロセスを
まごころよりサポートさせていただきます。

ご存知? たとえば「自己否定」ひとつとっても、個人の問題のほか、集合的無意識の問題もある

 
みなさん、こんばんは。
 
通過儀礼という言葉をご存知ですか?
 
人間が成長するためには、わざわざ傷つきを経験することが
実はとても大切なのですよ。
 
そのあたりのことをよく知らないとですね
今ある「傷つき」をただの
「自己否定」とらえてしまいかねないので
要注意。
もったいないのであります。
 
でも通過儀礼をひとりで超えることは
けっこうしんどいので
サポーターはいたほうが進みやすいかなあ。
 
こころのレッスン&トレーニングは
あると便利です。
 
もしも今「自己不信感」があるとしまししょう。
 
それはじつは
個人的なものばかりともいえないことは多々あります。
 
もっと大きな視点で考えたら
成長のために重要な「通過儀礼」ともいうことができるわけです。
 
そう考えると避けて通れないものですから
 
大事なことは、それから逃げるのではなくて
それをどのように受け容れるかです。
 
 
私?
 
私なんて「通過儀礼」だらけですよー。
 
おかげさまで
数年前の自分よりも
ぐんと自分のことが好きになれていますよ。
 
渦中にいるときはたまったものではありませんが
「傷つき」を通じて
「おのれの性質を熟慮・配慮・容認」できるようになったからです。
 
ただしこれを一人で超えられたかというと疑問。
 
自分の無意識のみならず
集合的無意識からのメッセージなんて
みなさん、キャッチできますか?
 
大地の声とかわかりますか?
 
 
もしもみなさんが過度に苦しいと感じられることがあるとき
 
その背後に「集合的無意識」のスピリット
あることも関係しているかもしれません。
 
あるクライアントさんが内なる批判者について
話していたら、それとワークしたら
 
じつはそれは「鬼」の形相をした存在でした。
 
ははーん。
 
秋田でいうところの「なまはげ」のような集合的無意識のスピリットが
背後でこの方をあやつっているな。
 
とか、読めてくるわけです。
 
その手合いは、ひたすら、畏敬の念をもって
ひざまずき、従っていくことにつきます。
 
「鬼」は人間をいましめるために
存在することもあります。
 
 
それに対する抵抗があるのであれば
ガイドがしっかりとそこを橋渡しするお手伝いもいたします。
 
これと、個人的な批判精神とを
いっしょくたにしていると
なかなか個人的なテーマを整理することもできません。
 
というわけで、奥深く
おのれの真相を探求なさりたい方からの
ご相談をこころよりお待ちしております。
 
P.S.
きょうはロシアのサバイバル武術「システマ」の
レッスンによるから行ってきました。
楽しかったー。
みんなでくにゃくにゃクラゲになりながら
身体反応を磨いていく練習をするのですが
とろけるような心地よさが私にはありまして。
 
こういうものとのご縁を得ることができるというのも
幸せなことだなーと
 
夜空のお星さまに感謝と喜びの言葉を投げかける夜
今宵なのでした。
 
おやすみなさい。
 
またあした!
 

2013年1月30日水曜日

祝☆恐れを超える境地。幻想を超えて、私は私!ザ・無敵。それは見失われた「内なる異性親・兄弟姉妹」との和解と結合から

 
 
みなさま、こんばんは!
 
きょうの私はスーパーハッピーです。
ファンファーレの鐘が鳴り響いております。
 
悲願の「内なる父との和解そして結合」を達成したからです。
 
お赤飯です。
 
初めての体験でしたが
 
それはもう至福の極致です。
 
やばーーーーーーい!!!
 
35年以上も、この瞬間を待っていた!!!
 
本当によかった、本当によかった。
 
そして今も私の胸のうちに歓びと愛があふれております。
 
やばーーーーーーい!!!
 
本当に幸せです。やばすぎます。
 
神様、ありがとうございます!!
 
ああ、日本語がまともに書けない。
 
きっかけは「こころ動かされた男性」について
徹底的に吟味し、分析をしたことでした。
 
私はこのブログでくりかえしのべていますが
 
深層の次元でいったら
 
誰にこころを動かされるかという出来事は
 
未完了のあなた自身を物語っており
 
実際のお相手との関係性は現実次元の問題となります。
 
現実レベルでの引き寄せの法則で考えるなら、
 
深層の次元でどのような関係性の構造を持っているかは
 
重要な問題です。
 
私の愛と自己実現の足場を築くうえで
 
最難関は「内なる父」を見つけ出すことでした。
 
4年以上も
掘り下げても掘り下げても
いっこうに浮上してこないので
嘆いておりました。
 
まずい。私の魂は
はじめから「父不在」なのかしら。
だとしたら私に残されている選択肢は
尼僧しかないのか?
 
と。
 
私が父親をこころからスプリットさせたのは
父に肉体的にも言葉的にも
暴力をふるわれた小学生高学年~中学生のころでした。
 
私はただでさえ言葉にこだわりのある子供でしたから
言葉による暴力は深いトラウマとなったのでした。
 
とにかくどこをひもといても
父親から肯定的なセリフを受け取った記憶がないのです。(無念)
 
加えて私は純粋なものを愛する志向性で
乱暴狼藉を極度に嫌悪しました。
血のつながった存在として到底受け入れることはできず・・・。
 
「あれは父ではない」
残虐までに、私のこころのなかで父を殺してしまったことを
まるで昨日のことのように思い出されます。
 
プラス、その父と対峙する母との夫婦関係も問題でしたけど。
まあ、そのあたりを書き出すとどうしようもないので省きますけど
 
要は
私の「男性をえらぶ基準」は
哀れなものでした。
「興味をしめしてくれる」だけで、フラートされてしまう始末のくりかえし。
幸せになれるわけがありません。
深層心理の背景としては
「私を否定した父」から「少しでも肯定的なシグナルを受け取りたい」という
こころの投影があったのですね。
だからよその男性に少しでも興味をさしむけられると
あっという間に「転移」が生じる、
自分でもどうにもできない空恐ろしいトラップに
20年はのみこまれていました。
 
父は今でも私の本質をまともに認めません。
よっぽど相性の悪い星のもとに生まれたのでしょう。
何かの修行のために。
 
そのことが苦しくて
父の存在を猛烈にふたをしました。
そのせいで
どこを探しても「内なる父」がちっとも出てこない。
 
深層心理をよく勉強している私は
非常に危惧しました。
 
父と和解しないことには
私の自己実現も愛のテーマも達成できない。
近親相姦元型に支えられている
魂の核心だからです。
 
でもね。ここにきて急展開で
浮上したのは。。
 
フラートされた男性にどのような
エネルギーやエッセンスをうつしだしているのかを
そのひとに対する気持ちやフィーリングをよーくよく
味わい、吟味し、分析したら・・・
 
ん????
 
この「感覚」。
 
どこかで。。。
 
遠い日のどこかで。。。
 
身に覚えがあるような。。。
 
というのが、今朝方わきあがったのです。
 
ああああ!!!
 
3つか4つのころ
私が父に感じていた「かっこいい」だったのです。
 
しかも!!!!
 
私の父は私が自分の思い通りに
勉強をしないことを理由に暴力をふるいましたが
幼少の私は父の無意識のうちにあるワイルドさに
かっこよさを覚えていたのでした!!!!
 
うっそーーーーーー!!!
 
衝撃でした。
 
私がいままでおつきあいしてきた男性に
ワイルドタイプはいなかったからです。
 
私の本質が探していた異性が
そういうタイプだったとは!!!
盲点でした。
 
私の見失われた異性性のひとつには
水子の兄がおりますが
彼はインテリジェントなエネルギーです。
 
これは昨年の終わりに結合ずみですが、
 
父不在だった私は
 
ずーっとブラザーコンプレックスをベースに
恋人や伴侶を無意識にチョイスしていたのですね。
 
「お兄さんみたいに優しそう」
「弟みたいにかわいい」
「お兄さんみたいに理知的」
 
といった具合に。
 
とーこーろーがー。
 
最後の砦となっていた「内なる父」は
 
その実「ワイルド」な性質を中心にもっていたとなると!!!
 
いやー、こりゃ私には新しい発見でした。
 
そりゃ私がいままでお利口さん系の男性とおつきあいしてて
関係が途中で切れてしまうわけですね。
 
私はまず私自身が自らの「ワイルド」さを認めなくてはいけません。
投影している「異性性」は、根本的には(魂レベルでは)
自分の持ち物だからです。
 
結局は、自分の内実がワイルドなのに
私がそれにうそをついて
そうでない男性とおつきあいしても
ずれがしょうじてうまくいくわけがないのも
無理ないですよね。
 
いままでまったくおかしな展開になっていくことの
わけがよくよく理解できたのです。
 
おまけに先日、開催した
深層コラージュセラピーで発見した
 
私の本質(魂)が夢見ている
男女の関係性は、「ワイルドな男性に追いかけられる関係」です。
 
▼こんな風に(^^)
 
説明を追加
 
実際の私は「父不在」の恐怖からまったく反対のアプローチ
自分から相手にあわせてキャラを変えるくちでしたから
 
これまた「魂」はおもしろくなくて、
その関係性をぶっ壊しにかかってくるのですね。
うきゃ。
 
でもね。
この「ワイルド」さに開かれるためには
長年、1点の恐れもあったのですよ。
 
現実を生きる両親が「ワイルドさ」を隠ぺいし嫌っているからです。
 
私が「ワイルドさ」をコミットすると
親からいよいよ本当に愛されなくなる
孤独になる
親のいい子でいられなくなる
親と離れることになる
ね。
 
そしてそのときは本当に来てしまいました。
でもそうしなければ何の因果か
私の人生は空回りの連続。。
 
親との一線をひくことも腹を据える必要があります。
生き延びていかなくちゃいけないのは、私だからね。
 
親とは外交関係の仲にするしかありません。
さもなければお互いにお互いの個性を傷つけあってしまうからです。
実際、産み育ててくれたことの大変さに敬意も抱いていますし
感謝もしていることは確かだからです。
 
それを受け容れるだけのタフネスも
私は磨いてくることができましたから
 
このときはやっときたといった感じです。
 
ある意味、
私は本当にひとりになってしまいました。
 
でもここから本当の意味での
自分のための旅がはじまるのだともわかっています。
 
自分にしかできない生き方を追求する
プラットフォームの完成を目指して
ただ走るのみでしょうか。
 
でも、現実にいよいよ
まるで高校や大学を卒業したての若人のような
門出の気持ちです。
 
でもなによりも。
今までのプロセスにはなかった感覚
 
「内なる父」に非常に愛されている感覚
私はきょうマスターしました。
 
「内なる父」はいつでも私を見つめていて
追いかけてくれていて、髪をなでてくれています。
 
そのイメージが大変強いのですから
 
これから私の現実がそのようにならない理由がありません。
このイメージをがんがん強化することが、
現実の勢いに拍車をかけたいと思います。
 
万歳!!!
 
ここを中心に考えれば
自分にふさわしい男性を
見誤ることもないと信じたいです。
 
このため
 
たとえ現実的に私がひとりであったとしても
面白いことに
「孤独な寂寥感」はちっともないのですね。
 
ひとりであったとしても
 
すこぶる満たされていて、ハッピー
 
好きなひとのことを思い浮かべているだけで
少女のように純粋なこころで
ニコニコいることができてしまうのです。
 
そしてその私はもう
男性を自分から追いかける必要もありません。
私の「内なる父」は、父のほうから私を愛してくれるからです。
 
やっと、ここまできた!!
 
エベレストの8合目ですかねえ。
長い道のりでしたが
頑張っただけのことはあって
世界がひっくりかえったかのように
ものすごいリッチな心境です。
 
 
一度しかない人生ですものね。
ご興味のある方からの
ご相談をお待ち申し上げております。
 
すべての幻想を超越する
境地に一緒にまいりましょう!!

2013年1月28日月曜日

「何もしない」関わり方のなかから豊かで創造的な関係性が生まれます~きょうの「小さな幸せ」

 
みなさん、こんばんは。
 
週末ものすごーくがんばって働いたので
 
たまたま空いたきょうはオフにしてしまいました☆
 
きのうのカウンセリングのなかで
 
「そう、そう☆」と思ったことがありました。
 
それは
 
「何もしない」という「関わり方」についてです。
 
私の先生の先生が今年のGWに来日セミナーをするのですが
 
そういえばそれがそのテーマでしたね。
 
 
あるクライアントの方が
そのことをお話になられはじめまして・・・・・・
 
そういうときセラピストは何を意識すると思いますか?
 
「この方に対して私はどれだけ
“何もしない”関わり方をつとめようか」
 
と意識します。
 
相手が言葉にしている「働き」「機能」「役どころ」などは
関係性のなかの「ゴースト」だからです。
 
「ゴースト」のロールは
当人たちがまったく意識できていないけど
じつは深いところでその「機能」を求めて
無自覚に何か問題を発生させていきます。
 
だから私はお話をていねいにうかがい、耳を傾けて
真剣にその世界を共有させていただいているとき
私自身は、何もしないことを徹底します。
「ただある」のみに。
 
ですが同時に私は
その方には何も働きかけませんが
自分の「はらの虫」にだけ真剣に働きかけています。
「はらの虫」とひとつになって
インスピレーションがやってくるのを待つというかたちで。
 
すると素晴らしい知恵を授かるのです。
 
+++
 
私たちはとかく誰かと関係をつくっていくとき
積極的に施したり
働きかけることにばかり意識が
むかいがちではないでしょうか。
 
ところがみなさん!
 
「何もしない」で
ただ「あるままに」
向き合うときにこそ
最高の関わり方が創造されるのであります!!
 
だから私は
大切な方(もちろんクライアントの方もふくめて)と
向き合うとき
「いかに働きかけること」を考えるのではなく
 
「はらの虫」に従うことを大切にします。
 
その間は、ただ黙して、向き合います。
 
物理的な距離と時間もふくめてです。
 
「はらの虫」に従っていると
必要なときに、どのように動いたらいいか
何か言葉をかけたほうがいいか
鮮やかに教えてくれます。
 
 
そう考えていくと、
生きるということはとりたてて頑張らなくてもきれいに回っていきます。
天の指示にまかせて動けばいいだけ、
という風にもいうことができるかもしれません。
 
これでじゅうぶんに大切なひととの関係をつくることはできますし
 
最高のアプローチとコミュニケーションを創造することになり
 
相手にとっても有用な存在として関係することができるようになります。
 
このあたりのことを知りたい方は
この「はらの虫」をつかまえるセンスとスキルを磨きたい方は
 
私のクラスの「愛ある関係性のグループワーク」にぜひご参加ください。
 
この技にトラップがあるとすれば
「恐れ」や「疑い」、そのほかもろもろの
「傷つき」になります
その浄化をすればするほど
「はらの虫」の意図をつかまえることができるようになります。
そのプロセスをになっているのは個人カウンセリングになります。
私たちは「人間」であり、たくさんの「感情」や「煩悩」を
持っていることもまた自然だからです。
ここを整理・浄化していくとき
「天」や「大地」の声と仲良くなることができていきます。
 
 
このグループワークですが
 
次のタームのスタートは
3月26日(火)19時30分~21時30分
毎月第4火曜日 全10回 になります☆
 
料金はグループワークが
初回参加の方 8万円 
2回目の方 7万円 
3回目以降の方 6万円です。
 
***
 
きょうは飯田橋の東京大神宮に
今年2回目の参拝をしました。
 

 
縁結びの神様だけあって
 
こちらの境内は「まとまりのエネルギー」が強いので
 
私はこれを必要とします。
 
私は「分裂」傾向が強い体質だからです。
 
まとまりをみるために
師匠とのセッションも大事にしていますし
自分自身も日々、「自分の中心にとどまること」を強く意識して
生活しています。
外界からのエネルギーには極力ふりまわされないように
見ざる・聞かざる・言わざるの3ザルのこころを
大切にしてますw
さもないと、本当にアッという間に
カメレオンになってしまって、
自分がどこかにいってしまい
本当に自分でもないものに
平気でなりきることができてしまうからです。
やな体質だわ。とほほ。
 
 
ほら!参拝後、こんなにご機嫌です。
自分に還れています。
 
思わず、神楽坂に引っ越してこようかしらと
思ってしまうぐらい。
できることなら毎日参拝したい!


 
平日の御昼なのに、
こーんなににぎわっています。
 
きょうは「恋文みくじ」をひいてみました。
 
すると!
 
なんて素敵なメッセージかしら。
 
「ほかの人には何でもないことでも
自分にとっては幸せ。
そんな小さな喜びを発見し
楽しい思いを大切にすること。
その気持ちが相手にも快く届き
大きな幸せにつながります」

 
私の大好きなことだわ☆
 
あわせて万葉集の詠み人知らずより。
 
「信濃の千曲川の河原にある石も
あなたが踏んだのならば
宝石として拾います」
 
きゃー、ステキ♪
 
好きな人がふれたものは
すべて宝物に思える。
 
ういういしい恋心です。
恋の原点ですね。
ときめきの大切さですね。
 
この心境はもうただ感謝のこころに
通じるばかりです。
 
自慢ではありませんが
私は誰かを好きになると
そのひとを描写することの達人でございます。
(その力で恋文屋.comを思いついたし)
 
おほほ。
 
ここにそれをつづっては
誰のことを言っているのかが
世にわかってしまうから
(わからないか)
書きませんけどね。
 
あーでね。
こーでね。
こんなしぐさでね。
顔のラインがこうなっていてね。
こういう言葉がこんな感じでね。
こういうところが色っぽくてね。
さりげない、このはにかみ方とかに、きゅんとする。
などなど。
 
大学生のころ
お友達に好きになった男性の説明をしていたら
 
「大崎の話をきいていると
私がそのひとを好きになりそうだわ」
といってくれたかたがいましたっけ。
 
当時から誘導催眠話術と表現力があったのね。えっへん。(自画自賛w)

 
さて、きょうは最後に。
「恋文みくじ」にしたがって。
「小さな幸せ」をきょうからブログでご紹介していこうかなーと。
 
たくさんありますよー。
私は愚痴や不満も少なくありませんけどw
 
恵みもわんさかありますよー。
 
☆好きなひとを想って胸がいっぱいになる瞬間
☆飯田橋のお堀の水面が光にきらきら輝いていたこと
☆東京大神宮にまで足をのばすゆとりある時間をもてたこと
☆みあげたスカイブルーが澄み渡っていたこと
☆数年ぶりにでかけた町並がかわっていて新しい刺激になったこと
☆スターバックスに2回も入ってしまったこと
☆かわいいお守りを購入できたこと
☆おみくじで素敵なメッセージをいただけたこと
☆愛犬がいつも見つめてくれていること
 
などなどきりがありませんね。
こんなのを書き出していたら
まる1日、はじまりから終わりまで書くことになってしまいそうです。
 
ぜんぶみなさまに支えていただいているおかげです。
どうもありがとうございます。
 
 
きょうのお洋服の配色がけっこう好き。
ネイビーが基調。
小花柄のワンピースをきて。

2013年1月27日日曜日

絶望の淵に沈みきると、力が抜けて、綺麗になっていく。

 
みなさん、こんばんは。
 
きょうはケース三昧
プラス、「NLPプラクティショナークラス」
「交流分析クラス」を行いました。
 
それにしても
きょう、私は、クライアントの方のお話に耳を傾けていて
何度も「あの世」にいくことになりました。
朝から晩までノンストップで
やっと先ほど終わりましたが
宇宙から戻ってきた宇宙飛行士のような気持ちです。
ふー。
 
なぜかきょうの私のサロンのフィールドがもっていた
共時性(コンステレーション)は「絶望」だったからです。
 
「絶望」のエネルギーを受け止めるって
どういうことか、みなさん想像できますか?
 
すごいですよ。
 
私のなかの「絶望」を引き出して
 
「絶望」には「絶望」でケアしていくのです!!
 
(ホメオパシー的よね)
 
カウンセラーとして若葉マークだったころにくらべて
かなりハードな極致を渡れるようになった気がします。
(誰も褒めてくれないので、自分でほめるw)
 
***
 
みなさんの「自我」(思考・マインド)は、自然な防衛反応として
拒否反応をしめしますけどね
 
「絶望」の淵に落ちきってはじめて
再生はおこりますのですよ。
 
私は言葉を駆使して
みなさんに知らず知らずのうちに、
その淵に落ちて行っていただくことを援護する身であります。
 
ひとりじゃ落ち切れないのですよ。
怖いから。
でも落ちないと、状況は好転しない。
だから、こころあるガイドを使ってほしいわけです。
 
***
 
私は11年間美容のライターをしていましたから
それなりに「美しいものに」魅きつけられる感性もあるのですが、
 
クライアントの方が「うわー、きれいになったなあ」
感じるときって
決まって、みなさんが
「うわー、いたーい、絶望だー」
訴えていらっしゃっている時です。
 
私はともにその苦しみの中に沈みながら
一緒にこころを痛めさせていただいていますが
 
同時に、はっと魅了されてしまうのは
そういうときほど、そのかたがふわーっときれいな白い光を放っているからです。
表情も凛として、一本筋の通った気高さをあらわしはじめるからです。
 
執着しているものが手に入らないと悟るとき
マインドは絶望的ですが、
力みが抜けるため、美しさとなって光るのだと、
私はみております。
 
まあ、ここのカウンセリングサロンはおっかないこといっているわ。
 
びびらないでくださいね。
 
さっきお帰りくださったクライアントの方は
 
「予想通り、ここでなら私は素直になれる」
 
とおっしゃってくださっていますからね(笑)。
 
でですね。
 
結論はこれです。
 
ようは、ひとを魅了する美しさは
絶望の淵に沈んだ後にやってくる
 
ということです。
 
私のところにおいでくださる方は
 
仕事でぐいぐいひとをひっぱりたい方
みんなのうえにたって頭角を現したい方
ステキな結婚をしたい方
恋愛関係をうまくいかせたい方
などですが
どんなひとにも「ひとを魅了する」力はいりますよね。
 
よく昔、ライターをしていたとき
「人寄せオーラの高い女になる」的なコピーを書いてましたわ。
 
そのために精神を磨こうと思ったら
いっぱい「絶望」をありがたく受け止めていくことは
とても大きなポイントです。
 
「絶望」を知らないリーダーはちとつらいね。ついていく側は。
 
 
私もまだまだ磨きつづけている身ではありますが
 
先般、あるクライアントの方に
 
「あら!男運があがったんじゃない?」
 
とおっしゃっていただきましたよ(笑)。
 
(なンチュー、カウンセラーかって?)
 
本人的にはまだ結果がついてきていなから
まだまだだけど
 
でもアプローチとしては
 
自分が信じてきた方向と
まったく違う方向に
勇気をもってえいやと飛び込むことを
繰り返していることだけはたしかかな。
 
恐れをのりこえて。
 
なぜか?
 
恐れの反意語は愛でしょう?
 
私は愛のしもべですから。
 
 
きょうは気ままに、失礼しました。
 
ごきげんよう☆
 
P.S.最近、私がせっせとブログを書いている理由。
「絶望の淵」におりたったとき
「自分に許されているおのれとは、
自分が嫌いだったすべてを統合するときだ」
と見つけたからですわ。
 
あんなに母親と仲良しだった私も
年明けからあることをきっかけとして
ことりと縁切れになってしまったし(T-T)
「自立」のときがきたのね。
深いところで私は甘えん坊で
本当の「自立」も嫌ってたのかもしれません。
 
ブログもじつは大嫌いだったの。
だって、私は商業ライターだったから。
「あほか、どけち」。
という声も聞こえそうだけど、
変な固さをもった私だったのでした。
 
でもね。
たくさんのクライアントの方と向き合っていて
私のメタスキルが、ぐわんぐわん、発達してきて
 
お金という境界をこえたところで
私は自分がみなさんにお伝え世界観を
しっかりとお渡ししていくためには
 
みなさまにせっせと援護射撃が
重要と思い始めたのです。
 
自分が死ぬまでにできること
を考えたら、たくさんの方にお伝えしたいことを
お渡ししきっていくことは、いちいちていねいにまとめようとか考えていたら
「間に合わないのでは?」と思い始めたこともあります。
 
つたない文章で申し訳がないのですが
せめてものエールと思って
読んでいただけたら幸いです。
 
読んでくださっている方
どうもありがとうございます。