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2011年8月9日火曜日

大切なひとと、うまくいかないと感じるとき。そこにいるのは見失われたあなたの化身です。



















みなさん、こんばんは。

夏まっさかりですね。

私は2月ごろからはいていたスリッパが古くなったので、
夏用にかえました。















籐の素材感が肌に心地よくて、気に入っているんです。

先日、インテリアセレクトショップ『私の部屋』で一目ぼれ買いしてしまいました☆

その下に敷いたラグマットは、イギリスのブランド『キャス・キッドソン』のもの。

サマーSALEで16ポンドちょっと(日本円で2000円ぐらい)でGET。

おかげで空間がいっそうガーデンか
お庭でのピックニック風になるのを手伝ってくれて、
喜んでいます。

さて、きょうはきのうの話から派生して、

「大切なひと(対人)は、あなたの見失われたアナザーパート」

と題してお届けしたいと思います。


もしもあなたが、その関係がうまくいっていないと感じられるのであれば、

その関係性は、

あなたが見失ってしまった、深いところのあなた自身を、

映し出すために、お相手がその役割をとってくれているのだと

ちょっぴり捉え直してみるのは、いかがでしょうか?


私は昨日のブログで、


夜見る夢や、そのほかもろもろ内なる傾向性を探り当てる

インナーワークによって

私の「神のこころ」が

私に「もっと固まって、集中すること、気を散らさないこと」を求めていることに気が付きました。

実際、きょうもそれはやってきました(T-T)。偏頭痛というかたちで。

備品の補充のために、

街に出て買い物をして、

カフェラウンジで読書していると、

見事に内なる傾向性がどんどん収縮のほうに向かっているのに気づき、

1時間とそこにいることができなかったのです。

なぜなら、異様な眠気に襲われたからです。

(標準の次元からみれば、
私のこの身体感覚への直結ブリは異様かもしれませんねw

でも、この感受性こそが、私の仕事の大事な媒介なので、

有り難かったりするのですよ)


慌てて家に戻りましたが、その途中も、頭がガンガン割れそうに痛い。

頭の痛みのこころになってみると

「なんでほっつき歩いているんだ!」

とおしかりを受けるにいたり。。。

そして、それ以上に、頭痛でどうにかなってしまいそう。。。

戻るや否や、すぐに睡眠をとりました。

「はい、はい、傾向性に従って、がちーっと凝り固まって、
小さくなって、私はドリームランドに落ちていきますぅ~

と。

完全に、もうだめだわ。ほっつき歩きの人生に卒業しないと。
(私は休日のウィンドーショッピングが大好き♪w)

プラス、気を四方八方に散らしている生き方も卒業しないと。


。。。で、はっと気づきました。

そうだ、そうだ。

この問題は、まさに「人間関係」にもでていました。

私の大切なひとが、すっかりなしのつぶてになってしまった背景にあるのは、

私が同化できていないこのパート、

むしろ忌み嫌ってさよならしていたこのパートに、

今入っているからなんだわ!!と、はたと

符号の一致に気づいたのでした。(これも共時性)


人間関係の知恵の輪を
ほどくために次のチェックを!】

1★相手と「うまくいっていない」と感じられるのは、
相手のどのような態度に対してですか?(=エネルギーYとします)

2★あなたの人生のなかでエネルギーYを統合すると、
どんな「良いこと」が展開されるだろう、と想像することができますか?

3★あなたが人間関係以外で問題に感じているのはどんなことですか?
そこにエネルギーYを統合すると、状況はどのように変容すると想像できますか?

4★このほかに、昨日の私の夢や身体感覚をつかったインナーワークを行うことで、
ズバリ!エネルギーYが、あなたの内側にあるのを体感できるかもしれません!

5★ここまでチェックしてみて、いかがでしょうか? 
    その関係は本当に「うまくいっていない」というのにふさわしいでしょうか???





**私のケースを例にみてみます**


私の大切なひとは、

いろんな環境要因のせいもあるのですが、

私からみたら「きっと私のことが嫌なんだろうなあ」と察せられるような

態度を私にしむけてきます。(みなさんもそういう気持ちになること、ありませんか?)


だから、私はそこまでこのひとに愛着してもしょうがないなあ、と諦念に入りかけていました。


ですが、昨日からのワークを通じて、はっきりとわかったことは、

そのひとは、私が周縁化してしまった生き方

「凝り固まって、集中して、ひとつでいる」のひとだったのです!

だから、私がそのひとに「嫌われているように感じる」のも無理ありません。とほほ。

私にとっては、そのような生き方は脇においやられて、目にも入らない、

スポットライトも当らないところに存在するものだから、

「彼は私のことが嫌いなんだわ」という結論につい結びつけて考えがちなのです。。。


自分が同化している、自分だけが知覚している世界とは、別に存在する
並行世界の可能性としては、

単にそのひとは

「ものごとに集中しやすく、そうしたときには私とはちがって、
四方八方に気を散らすことのできない」

人間だということができるのでしょう。


自分のなかの見失われた神のこころに触れるときに
そのように読むとくことを可能にします。


そのひととは私はもう半年以上もあっていないのですが、

それでも、そのひとは私の人生の師匠だなあ、まいったなあ、と

頭を垂れずにはいられないのです。


無為自然に、あるがままに従い、

私は私の道に「凝り固まりなさい」、ということを

連絡もままならないそのひととの関係性が

私に教えてくれるのです。

本当に不思議な関係なのです。

物理的な親密さはないのに、
精神的な親密さを感じずにはいられないのですね。


(もちろんとっくに破綻した関係なのかもしれませんが、
じゃあ、逆に破綻した関係として、いろんな側面を読み解くと、
あまりにも違和感がありすぎるので、
この仮説は私のなかでは今のところ却下なのですw

結果はどういう関係性として落ち着くのか、
本当に未来は未知数ですが、
今は、この不可思議な学びの相手として
大切にさせていただくことそのものに
有り難さとこころのうるおいを感じるので、まいっかな、と)


このことは、じつはとても自然な話でもあります。

太極図のように、私たちは、補い合うようにしてもつれあい、からみあい、
人間関係の絵柄を織りなしているからです。

▲出典元 http://www.spc.jst.go.jp/report/200705/report3.html



















私がXというエネルギーに同化していて、

いっぽう、私の見失われたYというエネルギーがあるとしたとき、

人間関係のもういっぽうがそのYというエネルギーであるがゆえに、

惹かれてしまうことは、

俗にいう「自分にないものを持っているひとに惹かれる」という関係の

もっと深い次元バージョンとしてもありうるわけです。

ところが、私はYのエネルギーに慣れ親しんできていないから、

Yのエネルギーの生きざまがなかなか理解できません。

だから、Yのエネルギーとつい対立構造を形成させてしまいやすいのですが、


よくよく煎じ詰めてみたら、

Yのエネルギーこそが、私の神のこころが求めるものだったとは!!!


とっても慣れ親しまない、どっちかというと意識レベルでは居心地の悪い
Yのエネルギー。

それを教えてくれるために、

目の前のひとが、そのような態度で、あなたと向き合ってくれている。

そのようにとらえることができると、

あらゆる人間関係に対して、つとめて謙虚なこころで、

執着を超えたところで、

向き合うことができるようになるのではないでしょうか?


太極図のように、陰陽がダイナミックに

流動的にまじわりあい、とけあうかのように。




それにしても、私は本当に、私の問題をなんとかせにゃです。

うー。未学習の領域って、一歩一歩努力するしかありませんよね。

毎日、2~3時間、何もしなくてもいいから、
同じ椅子に座ったまま動かない訓練とかしようかしら。
(私は、多動症の気質が強いのです。うううう)


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