みなさん、こんばんは。
キリスト教会式の結婚式の場面において、
神父様の前で誓いをかわすときがあるのはご存知ですよね。
「汝 健康の時も病めるときも
富ときも貧しき時も、
幸福の時も災いにあうときも、
可能な時も困難なときも、
これを愛し敬い慰め遣えて共に助け合い
永久(とわ)に節操を守ることを誓いますか?」
「はい、誓います」
---といったかけあいがあるのを、
みなさまも、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
(LIVEにであれ、映画やドラマのなかであれ)
私も一度、結婚式を挙げたことがありますが、
本当の教会式のように、牧師さまから
結婚の前に数か月にわたる講釈を受けてのぞんだわけでもないからか
(あるいは、講釈をうけても同じなのかどうかはよくわかりませんが)
この誓いの意味を
ずいぶんと軽く?甘く?みてたなあと反省することしきりですw
この言葉のとおり、表面的な労苦しか想像しておりませんでした。
この言葉の深みを探求するなら、
それは現在、アメリカを襲っているハリケーンのように
すさまじく激しいエネルギーでのしかかってくる
すべてのひとの人生に約束されているであろう
「カルマ(業)」の世界との闘いを意味しているのだとは、
毛頭、はい、夢にも思っていませんでした。
なぜ今の私が、このように表現しているかと言いますと……。
私はクライアントの方のニーズに応じて、
私の母(中国占星術「算命学」師)に、
その方だけの星の暗号を読み解いてもらうことが
ときどきあります。
※下記HPの頁にあるタブ「算命学(メール鑑定)」をクリック!
その情報の整理(書き起こすのを私が手伝います)にたずさわりながら
私も、ひとの不可思議な人生の奥の深さに触れることが増えていったからです。
その星の暗号を読み解きながら、
「は~っ」と深いため息とともに愕然とさせられるのは、
私たちには、私たちの意思だけでは抗うことのできない
「カルマ」があるという点です。
本人は意思をもって行動を選択しているつもりでも、
その「カルマ」にのみこまれています。
その「カルマ」の昇華のために、「苦しみ」の荒波を泳いでいかなくてはなりません。
さらにこの「カルマ」の昇華のための時間は10年単位で大きな月日を必要とします。
ひとによっては、60歳まで続く方もあれば、
さらには「カルマ」がひとつのみならず、ふたつもお持ちの方も少なくありません。
とうの本人は、わけわからず必死に最善をつくして生きているのですが、
「なぜか、驚くべき出来事がやってきた!」と知覚されるといった具合です。
この「苦しみ」から解放してくれる存在として、
多くのかたが誤解しているのが、
異性の存在です。
「異性が私を救ってくれる」
あるいは
「私しかこの異性を救うことのできるものはいない」
そのように幻想を抱いて
(私も、そう思っていたことは存分にあります、たぶん1~2年ぐらい前まで?)
蜜月の間。「ついに私は、あるいは、私たちは完全になれたのだ!」
といたく盛り上がるわけなのですが、
まあ、基本的にこれは深層心理にある異性性の
衝動的な(本能的な)投影からくる
ひとつの「幻想」ですから、
問題は必ず、この後にやってきます。
「どうしてあのひとは、出会ったばかりの歓喜の日々に
夢見たように動いてくれないの???」
「どうしてあのひとは、私の自由を奪うの???」
などなどです。
40代前後に、男女ともに不倫や浮気に逃げ出したくなりやすいにも
この影響です。
このあたりの説明をしはじめると長くなるので、
興味のある方はぜひ、ユングの『転移の心理学』(みすず書房)をご覧ください。
(すでに絶版なので、図書館か、古書ならあるはず)
(そうはいっても、専門家向けの研究論文になっているため
難解のところ多々…苦笑。たぶん一般の方には「なんのこっちゃ」なので、
私のところでは、この『転移の心理学』を用いながら、
これを簡単にわかりやすくお伝えしつつ、理解を深めていただいて、
同時に、この書物のなかで披露されている、秘儀!錬金術のワークを
ご提供することもしています。
ご興味ありましたら、お気軽にお問合せください♪
私はこれで「私自身」になるスピードが一気に加速されました☆)
で!話をカルマに戻します。
惹かれあった男女が結婚をし、一緒になるということは、
ふたりで精神のありようを変容させていくことのスタートラインにたったということであり、
それはふたりが苦しみもがきながらも変容をとげていく無意識の喜びを
ともに体験していこうではないか、という一つの「器」を設けることでもあると
今の私は解釈しています。
したがって、ここでいっている「苦しみもがく」とは、
自分のカルマだけでも私たちはひーこら、ひーこら、なのに、
同時に
相手のカルマもかけあわせなくてはならなくなるわけですね。
もちろん、「ひとりよりもふたりでいるほうが、乗り越えやすいじゃん!」
というケースがあることも知っています。
ですが、このとき、片方の人間は、
当人のカルマの問題のほかにも、相棒の問題のためにも、
「自分の古い精神のパターン」を手放さざるをえなくなり、
いわばひとつの「精神の死」を体験させられることになるわけです。
自分のカルマを超えるときにも、もちろん同じことが起きます。
ただ、私たちは、自分のことに対しては、自己への愛に支えられやすいですから、
いやおうなしに、その「精神の死」を引き受けさせられ、勇気をふりしぼらなくてはならなくなっても、
やむをえずその流れにのることができやすいかもしれません。
(注)なかには、それができなくて、
本当にこの世から去る「自殺」や「身体症状による死」を迎える方もいます。
これも、カルマの関与するところなので、
本当に簡単にひとことでここで申し上げられるような話ではないのですけれども。
それが、今度は、パートナーと一緒になるということは、
相手のカルマを引き受けざるをえなくなることになります。
自分ではない存在のために、
どこまで自分を滅することができるか、
他者のありのままをどこまで受容することができるのか、
ということが試されてきます。
ひとつの家族の一員のカルマなので、
「あなたのカルマは自分ひとりでなんとかしてください」
というわけにもいきません。
相手のカルマが、その因縁を解消するために、
その相手としてあなたを選んだことにもなるからです!
きゃーー。
カルマのエネルギーの矛先は、あなたにまっすぐ向けられてくるからです。
逃げおおせることのできるものではありません。
ふと、
葛飾北斎の孫が、ずっと北斎に無心(お金をせびること)していた、
というエピソードを思い出しました。
逃げても逃げても、追いかけてきて、大変だったというお話です。
だから「誰かと関係を強固なものにする(絆を強くする)」というのは、
それ相応の「覚悟」と「自覚」が不可欠だと、私は思うのです。
どんだけの「覚悟」か?
そうですねえ、
「割礼」クラスがあると、きっと違うでしょうねえ。
まさに、
「自分を滅する」ぐらいのです。
ところが、私たちは頭でこう思っていても
実際に葛藤関係におちいったパートナーを前にすると、
自分を滅しきることも難しく、そこで激しく身もだえすることになるのですね。(涙)
自分を滅しきれない自分は
相手への出会ったころの夢と幻想も手伝い、
「相手にもっともっと甘えたいのに、私の思う通りになってもらいたいのに
ひどいわ、ひどいわ、相手は私の思う通りに愛してくれないということは、
相手は私を愛していないんだわ」
と悲嘆にくれてしまうのですね。
(おお、可哀そうな話だ。これって、異性同士に限らず、
親子関係、友人関係、上司部下関係などにも見受けられますよね☆)
こういうときには、
その幻想と夢を、こころある心理セラピストにぶつけてはいかがでしょうか?
心理セラピストが、その夢と幻想を引き受け、
たっぷりと「甘えたい気持ち」を受け止めさせていただくことにより、
あなたは、相手のカルマを引き受けることができるだけの
タフネスを育てていくことになるからです。
(このからくりについて説明すると、これまた長くなるので割愛しますね)
とにもかくにも、否が応でも
もつれあってしまう、ふたり以上の「関係性」があることを
はっきりと知っておくだけでも、
目の前の好きな人を見る目が変わるんじゃないかなぁ、
と私は思っています。
そのもつれあう関係性をひもとき、
その相手のカルマを引き受けることができるようになるだけの
メンタリティを磨くお手伝いをするのも、
私の大好きなお仕事のひとつです☆
ご興味および御入用がありましたら、
ぜひご相談ください♪
で最後に質問です。
あなたは、あなたの
今の好きなひとのカルマを引き受けるだけの
覚悟は整っていますか?
現在の私は、このカルマの力のすさまじさを
自らの体験としても、
はたまた
セラピストとしてたくさんの方の人生ドラマを傍観させていただきながらも、
確信を深めていっている次第です。
それゆえ、
好きな人ができても、
相手の意思や態度や
ふたりの関係性の質を
じっくりと見定めるようになってしまいましたw
よく「結婚とは勢いとご縁とタイミングだ」といいますが、
これは先に申し上げたような
「衝動的な投影」の本能の力のなせるわざです。
私自身、人生において二度とそのようなことは起きないだろうと予見しています。
そのかわりじんわりと関係を見定めながら、
「OK,カルマのもつれあいという火の海も
このひととなら一緒に超えていくことができそうだわ」
と、はらから実感できたときにだけ、
人生のパートナーとしての関係へと進展させていくのかもしれません。
まあ、そうはいっても
人生は、どんなに考え予測したところで、
すべては不確実性の中にあるものです。
神(私の無意識および魂)が投げてくるサイの目に
したがうだけですけどね。私は。
きょうのお話は、読むタイミングによっても
個々人への響き方がぜんぜん違うでしょうから、
適当に吟味して、適当に参考にしてくだされば、光栄です。
真に受けたくなかったら、真に受けなくってもOKです。
その方だけの無意識(タオの道)が求めるものこそが
その方の人生においての、最良の選択と
私は思っているからです。
ではでは、ごきげんよう!
人生は、いつ何が起こるからわからないから、
楽しいのかもしれませんね☆
(多くの方は、それが不安で怖いということも知っていますが)
(おお、今日は長くなりましたね!
最後までご一読いただきありがとうございました)
おまけ:きょうのご機嫌ワンポイントアイテム
「キャス・キッドソンの鳥のピンバッジ」
鳥が帽子のつばもとで、
楽しくおしゃべりしているのが聴こえてきそう♪
手持ちの帽子にプラスするだけで、
表情がガラリとチェンジするから、なんか得した気分。
うきうき心躍る1日を演出する、大事な脇役です。
こちらよ▼
この秋の最新アクセサリーです。日本未入荷! 生き生きとした表情に、ふっくらコロリンとした ボディがとってもラブリーです。 |
0 件のコメント:
コメントを投稿