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2011年8月22日月曜日

大切なひととの「ことばのドッジボール」回避術













みなさん、こんばんは。

昨日の朝から夕方まで
私は、私の先生が主催するセミナー
「統合失調水準とプロセスワーク」
に参加していました。

じつに奥が深く興味のつきない話題であったことか!

精神医学と心理療法はたもとをわかっていてはいけませんね。

なぜなら、私たちすべてのひとには「気質」があり、

その「気質」のなかのひとつに「分裂気質」というのがあることからも、

私たちの「分裂気質」が強く発動したくなっている方を支えるためには、

心理セラピストにかぎらず、対人援助を意識するかたがたが

精神医学の深淵な構造を理解し、

そこと向き合うだけのかまえをとことん叩き込んでおくことが

「実践的な対人援助」の理想の姿だと、私は思うのです。

さてここで、私が昨日、学んだ症例(『精神分析研究』Vol.53p407)からひもといて、

「良い受けとめ方、悪い受けとめかた」

の世界観をご紹介します。



これは、精神病理の症例ではありますが、精神病理の方に対するときに限らず、

私たちはごくふつうの日常でも、他者に向けて

このような「ことばのドッジボール」
に無自覚にはまってはいないでしょうか?


それは、下記の「こころの声1」「こころの声2」

実際にくちにして、相手にぶつけること---。


大切なひとをあるがままに受け止めたいと思う方が

目指すとよいと思われるのは、下記のドクターの「実際の声」の部分だと

私は思うのです。

ぜひ参考になさってみてください☆

私も日々修行の身です。
*****

クライアントAのうったえ:

「先生は先生の先生でいてくださいね。
先生が先生の先生でなくなっては困ります。
先生は先生の先生で〜(じょじょに早口になる)」。
「吐き気がします。吐き気がします。吐き気がします」
「先生なら私の言っていることがわかるはずです。
わからなかったらただの馬鹿です」

ドクターのこころの声1:

「心が壊れようとしている...!」

ドクターのこころの声2:

「反復語唱だ。薬増やそう」

ドクターの実際の受けこたえ:

「僕が先生の先生、つまりAさんの言っていることを
理解できる先生なら安心できるけれども、
そうでなかったら(Aさんは)安心できないものになって
吐き気をもよおすのでしょう」

クライアントA:

(喜んで肯定)

ドクターのこころの声2:

「(私が)不理解に満ちた対応をしたならば、
(Aさんは)吐き気を現実化することになり、
絶望的で暴力的な排泄を生み出したことだろう」

クライアントAのうったえ:

(再び表情を重くして、自分の服のボタンを指差す)
「これ何だと思います?」

ドクターの実際の声:

「ボタンでしょ?」

クライアントAのうったえ:

「ボタンがボタンでなくなってしまったら
どうなると思います?」

ドクターのこころの声1:

「形骸だけが残り、本質が解体して
散り散りになる
不安を汲んでもらうことを
(Aさんは)切望している」

ドクターのこころの声2:

「哲学的な本質論のような
知的な議論という、
躁的体制にはまる」

ドクターの実際の声:

「ボタンから大切なものが抜け出ていってしまったら、
ただ形だけがそこにある。
ただのアンポンタンでしょうか」

*「○○でない」を表す「un」にボタンをかけた駄洒落(!)

クライアントA:

(駄洒落について
説明をする必要もなく、
笑顔になった)

****

いかがでしたでしょうか?
少し、難解に感じられたかもしれませんので、
私流に解説を補足します。

理想的なアプローチは「ドクターの実際の声」です。

「誰の」行為なのか、「主語」をはっきりとさせながら、

【クライアントAに見えているふたりの関係】を

そこに浮かび上がらせています。

ドクターに見えているクライアントとの関係ではなく、

というのがミソです。

こうすることにより、

話し手は「自分(の世界観)が理解されている」という

安心感をえることができます。


ところが!

私たちは、自分になかなか理解しがたいテーマが目の前におきると

うっかり、つい、上記でいう「こころの声1」「こころの声2」

ぱんっととっさに相手にはなってしまうことがしばしばあります。


それは「自分の世界観を主体とした、
客観的な想像や冷静な判断」
です。

もちろん、これらがなければ、
私たちは相手のことに想いをくむまでには到達しないことは確かでもあります。
このような理性や知性も大変重要ですが、私たちのマインドは、
自分の軸を中心としてはじまるからこそ、
健康的に身を守って生きることができるわけです。

このことそのものは、大変素晴らしいことなのです。


ですが、この自分の想像や判断を相手に渡すときに、

この「こころの声1」「こころの声2」をあくまでも
自分の思考体系の「過程」にとどめて

もう一歩先に進化した、
より洗練された「受けこたえ」に
変換させてはいかがでしょうか?

コツは、

相手の立場にそってひも解かれた「こころの声1」

相手の世界観にわかりやすい言葉に、咀嚼しなおし、

うつしかえすことでしょうか。

***

このことのメタファーになるであろうものとして、

私は私の先生の幼児のころのエピソードがお気に入りですw

なんでも、先生が幼児のころ、お母さんとおばあさんは

おせんべいを分け与えるときに、いったん自分たちの口にふくんで

くちゃくちゃにしてから、それを口のなかにいれてあげていたそうです。

先生は、それが大好きでとってもおいしいものに感じたのだそうですが、

ものごころつくころ、弟ができ、

お母さんとおばあさんが弟にも同じことをしているのを目撃して、

「げ!俺が気に入っていたあれは、それだったのか!」と

げんなりしたとか、しないとか。。。w

***

私たちは、つい「自分が相手をなんとかしてあげたい」と思いがちですが

その必要はじつはなくて、

相手に安心を感じてもらうことができるようになるには、

このドクターのように、

ただただ咀嚼してうつしかえしてあげればよいだけだったりします。


私の先生のお母さんやおばあさんのように、

おせんべいをくちゃくちゃにかみくだいてあげるのが大切です。

消化しやすいように。

そのためには、本人に親和性の高い世界観を

ひもといてうつしかえすことで、じゅうぶんです。

私たちの誰もに「自己成長力」や「自己治癒力」は存在するからです


そんな視点で、ここであらためて
上記の症例を読み直してみてください。


いかがでしょうか?



***

あ。私、自分の好きな人にこれ、できていないことってあるなあ。

あらためて反省。精進、精進。

自分の「自我(エゴ)」のからむ話は、実にハードだわ。。。


だからこそ、私たちのような第三者的目線で

ガイドしサポートする専門家は必要なのでしょうね。


この手のトレーニングにご興味がありましたら、

ぜひお問い合わせください。

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