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2011年8月21日日曜日

苦しみは未来の喜びの光明

みなさん、こんばんは。

3日ぶりのポストになりました。
はじめの2日間はブロガーの不調でアップデートができなくなり、
昨晩は、所用で書く時間を逸しました。
引き続きよろしくお願いします。


そうそう、ブログのデザインをかえました。

私の意識ように変化があらわれました。

ここのところ純粋なテーマを連投していたら、
もう少し「身を守る」防壁を必要と感じ始めたからです。

「むき身」「さらけだした」状態で
他者と向き合うことは、「自我の傷つき」を引き寄せかねません。

これは無意識のうちに起きることです。

ですから、私たちは「仮面(ペルソナ)」を
社会やコミュニティと向き合うときのために用意する必要があります。

私は、自分のサロンを一歩でるときは、
帽子やサングラスを必ず身に付けます。
また、交際や社交のためにでかけるときは、
できるだけ黒や赤のスパイシーな衣服を選ぶようにしています。
またイメージのなかでは、お侍さんではありませんが、
甲冑を身につけているところを想像するようにしています。

私のこころのうちは、クリアなブルーやグリーン、

ピンクがスプラッシュしていて、その色彩ででかけては、
まるで、自分のハートが羽をむしられたチキンみたいに、

ひりひりとしてしんどいからです。


みなさんは、どんなペルソナを用意し、
どんな身なりで外でふるまうのがよいように
イメージできるでしょうか?

そんなわけで、この新しいブログのデザインは、
各日記、各写真に、しっかりとしたフレームを設けました。

きゅっと引き締まった気がします。

さて、お待たせしました、本題です。

お待ちかね!?

「苦しみがある理由」についてです。

きょうの「個性化を目指す」グループワーククラスでも
お伝えした話題からちょっぴりご紹介しますね。

★【魂の癒しと再生=個性化のためのグループワーククラス】
▼ 途中参加OKです。ご相談ください。途中からでもわかる内容です。
次回は9月3日(土)10時~12時 
(5回目/12回 になります。料金は7万円。分割のご相談も承ります)
参加者同士で2~3週ペースで次の日程を決めながら進んでいきます。
http://chiyokoosaki.blogspot.com/2011/06/blog-post_29.html


 
苦しみがなければ、どんなにか楽だろう。

みなさん、そのように感じることは少なくはないのではないでしょうか。


私も願わくば


「苦しみよ、さようなら」

と、永遠に苦しみから解放されたい想いはつきませんw


ですが、、、

結論からいきますが、

「苦しみ」があるから、「幸福感」があります。



ーーーだとしたら、

あなたは「苦しみ」をどのように
とらえなおすことができるのでしょうか?

「苦しみ」がなければ、「幸福感」も、

そこには存在しないのですよぉぉ


その理由は、以前にもご紹介しました、
ホイーラーの「自己反射」の宇宙の法則に基づきます。

私たちは私たちのありのまま

---「自我」も「自己」とりょうほうのありようーーー

をいつなんどきも

「自己反射」したがっているからです。


「苦しみ」を経て「自己」を見出すしくみなのです。

私たちが自分という命のタペストリーを織り上げようとするとき、


「苦しみ」色の糸を織り込むからこそ、

「幸福」の色が際立つのですね。


美しい絵画や織物には必ず、陰影が存在するのと同じですね。

ぜひお気に入りのアートをふりかえってみてください。


男性には、わかりにくいかもしれませんが、

女性のメイクアップも同じですねw

ひとさじのダークカラーがきゅっと施されるからこそ、
そのひとだけの魅力を引き立ててくれます。
(私は15年、美容のライターをがんばってましたw)


ゲシュタルト療法の創始者フリッツ・パールズの思想によると、

それがどのようなスタイルであるにせよ、

私たちはすべてのひとが「自らを表現して生きている」といいます。

たとえ、沈黙という表現を選ぶにせよ、です。

そこへホイーラーの説をアレンジするなら、

しかも
自己の存在をあるがままに反射させることを目的として---というわけです。

しかも、「自己反射」という目的のためには、
「苦しみ」があると、私たちは内省をはじめるから、大好都合です。

「あれ?なんか違った?」

「どっちの道を選ぶのがよいのだろう?」


ほら、自己反射活動がはじまっています。


そしてようやく、自己のありようを

ふりかえらなくてはならなくなるわけです。ははは。


私たちはいつなんどきも「自己」を実現したがる、と定義した
アブラハム・マズローの五段階欲求説にも、同じことがみてとれますね。


****

(注)ただし、ここでいっているのは、「自我」の実現ではありません。
これがポイント。

「自己」の実現です。

しかもそこにいたるのには、ひとりでは無理なんだよねーということを
ご紹介させていただきます。きっぱり。

ひとりだけだと「自我」の言い分から抜け出ることは無理だからです。

そして、「自我」の実現だけをめざし、「自我」の言い分だけを聞き入れていると、
「自己」の望む方向からはずれていってしまいます。

大事なことは、そのひとだけの「自己」を映し出す対象をもつことです。
それも「自己」の道に飛び込む
勇気と自己愛を支援してくれるだけのパワーをサポートしてくれる存在であることも
必要条件です。
だから「自己」との取り組みを視野にいれた心理療法家やコーチの存在がいるわけですね。
運よくソウルメイトと出会うことのできたかたであれば、
この「自己」に開かれる「変態」と「変容」を潜り抜けることもできるかもしれませんが。

****

さらに深いことをいいますと、

私たちの魂(プロセスワークでいうとドリーミングという、そのひとの髄みたいな領域、ほぼ神w)が

なぜ、かくも哀れな「自我の自分」(アーノルド・ミンデルさんのいうところの「小さな自己」)を必要としているのか?

これについてミンデルさんは、
自著『プロセス指向のドリームワーク~夢分析を超えて』(春秋社)p172-173のなかで

次のように述べています。

****

「それ」との対比において、
「それ自身」を体験するためなのだろう。
「それ自身」を見るために、
ドリーミングは、「それ」と対照的な背景を必要とするのにちがいない。

---(中略)---

ドリーミングは、「それ」と対立するもの---
いくらか固定された日常生活という背景---
と並置されることによってのみ明らかになるのだ。

***

「それ」というのは、「大きな自己」。
「それ」と対照的な背景、というのが「小さな自己」ですね。

う~ん、相対性理論を思い出せられます。

そりゃそうですよねえ。

簡単にいうと、光があるから影がある。
影がなければ光に気づくこともない。


もちろん、「苦しみから解放された生き方」のうちのひとつとして、

人生を淡々と進んでいくこともできます。
実際に、塞翁が馬のエピソードでは、
苦しいできごとにあっても
ハッピーなできごとにあっても
「まあ、まあ」と静観する主人公の姿が印象的です。

「色即是空」という言葉の境地にいたることができれば、

確かに「苦しみ」も「幸福」も超越してしまうことでしょう。

でもおそらく。。

このような超越の境地、色即是空の領域に至る道のりにつくきっかけを問うてみるなら。。。

おそらくこのような答えをするかたがほとんどではないでしょうか。


この世はあまりにも苦しみに満ちているから。


お釈迦様がまさにそうでしたw


一国の王子だった彼は、お城を出る四つの門で
生老病死を目撃しました。そして、激しくショックを受けます。

う〜〜〜〜〜〜〜んとうなったかどうかは知りませんが、

諸行無常を感じ、自分の守られている立場を憂い、
一国の王としての誉れ高い血筋からなのでしょうか、
本気で、この国をよくすることはできないのか?
生老病死の避けられない人の運命、俗世の習いの中で。。。

苦しみ悩み、出家の修行の道に入ったのでした。
この世の名誉、金銭、家族を捨てて。


「苦しみのある理由???
そんなの私は大丈夫だもん!」

と感じているかたもいるかもしれませんね。

その場合、チェックしてみていただきたいのですが、


「苦しみ」から逃れようとするがあまり、

「苦しい」自分は、はなから存在しないかのようにふるまい、

「苦しみ」にふたをしすぎていませんか?

まあ、そうなっちゃったら、そうなっちゃったときに
どうすればよいか見つけ出せばよいだけのことではありますが。

一応、精神的な原理や構造をご紹介できればと思いますゆえ。

それはまた今度。

「本当のポジティブシンキングとは?」と題してお届けしますね


で。


本日、私がいちばん言いたいことは、


「苦しみがあるから、

あなたが進むべきハピネスのありかが見つけられる」

ということ。

言い換えると、


「苦しみ」は「未来の喜びの光明」なんですよ、


ということでしたっ。

だから、「苦しみ」を排他、なかったことにしては、もったいない!!


ふふふ。味わいましょう~!?

渦中にいるとき、それが地獄であることは
1000も10000も知っています。
ですが、味わうからこそ、私たちは前進し、
変容できる、というのが禅の教えのひとつですよね。

でもひとりじゃ、味わうのはえぐすぎるから、

いっしょにおともしながら、

苦しすぎないところで、上手に気が付いたら味わい切っていたっ!

という体験を促進させていただくのが、

私のお仕事でもあったりします☆





「苦しみ」をいったいどうやって

「喜びの光明」に翻訳、変換することができるというのか???

という疑問もおありですよね。


ふふふ。

それはもちろん、

その翻訳、変換の力は、

専門家の腕の見せ所です☆

ご興味のあるかた、御入用のかたは、

ぜひおたずねください。

ごきげんよう〜。
良い日曜日をおすごしください。

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