みなさま、こんばんは。
私はこのところ、「人生は素晴らしい」という、
プロセスワークの生みの親であるアーノルド・ミンデルの
最新著書『大地の心理学』のなかでサラリと述べてあった言葉の意味が、
ほんのちょっぴりではありますが、
実感できるようになってきています。
生きていると、本当にびっくりするような出来事に直面化します。
クライアントのかたのお話をうかがいながら、
そのクライアントのかわりに
「ふざけるなー」「どあほー」「なんだそれー」
「私があなたのお父さんだったら、ぶんなぐっているね!」などと
ケースの違いによって表現はまちまちではありますが、
私はいったい何度、クライアント自身が抱えきれない怒りや悲しみの対象者に
対する怒りや悲しみを肩代わりさせていただくように、
表現してきたことでしょうか(苦笑)。
事実は小説よりも奇なり。
---とは昔から好きな言葉のひとつでしたが、
心理セラピストの道を歩みはじめてから、
ますますその想いを深くする一方、
同時に、
私自身の心理トレーニングを深めて、磨きをかけていっている作業(プロセス)と、
クライアントのみなさまのお話を深く受け止めさせていただくなかで、
「人間の奥の深さや人智を超えた叡智に生かされている存在であるということ」を
目の前のクライアントの変容と成長を目撃すればするほど、
確信は深まり、
わずかながらではありますが
「人生は素晴らしいんだ」
と、私も少しは味わうことができるようになってきたのでした。
ひとによっては
私のことを「赤坂見附でサロンを運営しているんだから、すごいわ」とおっしゃることでしょう。
これについては私もこころより有り難いと感謝つきません。
両親は健在で、両親とも(10年前の相克関係とはうってかわって今では)仲良く、
ふたりの余生をともに楽しむこともできていますし、
健康にも恵まれています。
かわいい愛犬もいます。
一方で、
私は今年で38歳をむかえましたが、いまだに独身ですし、
再婚の予定もありませんし(笑)
子供を授かる見込みもいまのところ0%です。
自ら選んだ道とはいえ、仕事はひとりで動かしているため、
基本的には、孤独な作業の連続です。
話しかける相手は、愛犬と、草花です。(それはそれで楽しいけど)
同世代のひととはすっかりライフスタイルが違ってしまっているため、
なかなか交わることもありません。
さらに、精神の分析を深めた結果、私の気質は、
「おてんとうさまにあたると肌が真っ赤に反応して荒れやすい」という肌の質があるのと同様、
外界でいろんなひとの「気」にふれると、感応してしまいやすい状態にあるため、
節度をもって社交することしかできないということに気が付いたのでした。
「なんだよそれ!ますます、
私(小さな自己/自我・エゴレベル)の大嫌いな
【孤独】と仲良しになれってことじゃないの!」
ただただ自分のサロンという守られた空間と枠のなかにいるときだけ、
そこに私を求めておたずねくださる方と触れ合うときを中心として、
そういった構造が守られているときにだけ
こころの平安と自分らしさを感じることができる、という、
なんともひとことでいえば「過敏すぎる」自分が、
「本来の私」であるということを発見してしまったのでした。とほほ。
悲しかったし、寂しかったし、げんなりしました。
はい、それでも、私にとっては「人生は素晴らしい」と
感じられるようになったのです。
変な矛盾話に思われることでしょう。
といいますのも、孤独を嫌悪するのは、
前述の『大地の心理学』のなかの「小さな自己」のほうであり、
「大きな自己(魂)」は、孤独を超越して、
たくさんのひとを慈愛のこころで包み込むことに
大きな喜びを見出し、
さらに、どんな逆境に面しても、
自らのうちに「無償の愛」を見つけ出して、
それを形にかえて生きることができる瞬間にのみ、
私の魂は充足と達成感を得るのだということに、
やまほどやまほど自分のコンステレーション(共時性、布置されているもの)を
読み解き続けたところ、帰結するにいたったのでした。
「小さな自己」は「うわーーーーーん(T-T) もっと下世話にいきたーい」と悲しくなります。
ですが、私の人生は「小さな自己」のいうことをきけばきくほど、
ボロボロの身体症状となってやってくるので、もはや白旗。降参。
そして、
個性化のためのグループワークのクラスでも、
この「大きな自己」を見つけ出すサポートをしているのですが、
私に限らず、みなさまもまた同じように「大きな自己」とつながることができるときに、
不可思議な充足と安寧の実感を得ることができているのを目撃すればするほど、
ああ、やっぱり、私の「大きな自己」は
ただひたすらに「愛の実践者」でいたい。
形而上学の使い手かつ、伝道師であるときに、
このうえない安息を得るのだなあ。
と、想いを確かにするばかりなのでした。
そこを中心として世界を見渡すとき、
「小さな自己」の「思う通り」は、思う通りになってもならなくても、一緒だったりします。
「大きな自己」の目的が果たされるのかどうか。
それが人生をかけての大命題だからです。
「小さな自己」の言い分は、そのあとからついてくれば、ラッキーぐらいにとらえてかまえています。
あるかたが以前に
「身近にいる家族の大切さについては、どのように考えているか?」と
投稿くださったことがありました。
それに対する、私の答えは、
身近にいる家族も重要な対象だけれども、
身近にいる家族でなくても、
家族と同じように絆をはぐくみあうことはできるし、
私のようにむしろ、その「地球大家族」を
どのように視野にいれて活動していくことができるか、というテーマをもっているものからすると、
必ずしも身近の家族にこだわらなくてもいいと思うのです。
ただし身近な家族との深いご縁を授かっている方や
それが魂のコードに刻まれているひとにとっては、
それは至極、重要な問題なのもすごくよく理解していますし、
身近な家族の支えにとってかわることのできるものも、そうありえないものだという
一面があるのも知っています。
私自身も、今ある身近な家族は大切にしていきたいと思っていますし。
ただ、このまま「大きな自己」の意図に従うとなると、いまのところ
私の「小さな自己」が求めるような
「自分をはじまりとする家族の絆」を得るのは難しそうだろうな、と。
人生に対して期待しすぎないために、わざと辛口目に見積もっています。
(私の一種の防衛でしょうね。笑)
そして、人生をふりかえればふりかえるほど、そしてこれからも。
「小さな自己」にとって
どんなにマイナスなハプニングであったとしても、
それらはすべて「大きな自己」の目的にぴたーっとそった形で、発生しているのだ、と
気が付くことができるとき、
こころから人生は素晴らしいなあ、と
うっすら瞳に涙を浮かべたくなるのでした。
みなさまの「大いなる自己」および「魂」の目的はなんでしょうね?
これがみつかって、その「大いなる自己」にいつもつながりながら生きることができると、
本当に「人生は素晴らしい」と感じられるようになっていくと思います。
興味がありましたら、ぜひ下記クラスにご参加ください。
飛び入り、大歓迎です。
★【魂の癒しと再生=個性化のためのグループワーククラス】
▼ 途中参加OKです。ご相談ください。途中からでもわかる内容です。
次回は8月20日(土)10時~12時 (4回目/12回 になります)
参加者同士で2~3週ペースで次の日程を決めながら進んでいきます。
http://chiyokoosaki.blogspot.com/2011/06/blog-post_29.html
(蛇足)
ちなみに、面白いことに、私の「大きな自己」に導かれていった結果、
こんな愛らしいエアメールパッケージで イギリスから届けてくれます。 今日届いたのは、 秋冬の新作のお洋服とバッグとアクセサリー♪ |
そしてキャス・キッドソンの世界観に
200%チューニングしきって、
そこをチャンネル(入口)とし、
私の「大きな自己」のファンタジーの世界にもぐっていくことができるようになってきたのでした。
「小さな自己」にとどまっているだけでは、到底、どんなに背伸びしてもちっとも到達することのできなかった、私の人生の目標に一歩近づいた実感があることも「人生は素晴らしい」と感じさせてもらっている理由のひとつでもあります。
はじめは疑わしく思われる「大きな自己」かもしれませんが、
いろいろとくりかえしチョイスしている「大きな自己」が
より安定と安心と喜び(小さな自己のものとは少し異なりますが)の方向に運んで行ってくれていることを
確かめることができるとき、本当にうれしさと輝きに思わず顔がほころんでしまうから、
みなさまにおすすめせずにはいられないのです。
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